きままりすと

気儘に言及するブログ

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「テレビは動画が途中から始まる」という新しくて面白い感覚の先はミニマリスト?


livedoorニュースを徘徊中に見つけた記事。

news.livedoor.com

この記事を初見した時、ちょっとよく分かりませんでした。いや、ちょっとどころか、結構よく分かりませんでした。だって、 テレビで流れてるのって動画じゃん。動いてる画ですやん。

寧ろテレビで静止画が流れていることの方が特殊ですよ。某銀色の侍アニメは、「静止画の裏でメインキャラ3人が延々とメタ発言するだけ」という手法を使う時がありますけど。それも予算難の結果による尺稼ぎの荒技ですからね。他のジャンプアニメだって多少は画を動かしてますよ。

話がアニメに逸れたので戻します。

 

実はこの話題、発端となった大野裕之氏の発言は1月31日にTwitter上で公開されたもので、ネタとしては散々語られ纏められてしまった、やや旬外れなものです。

togetter.com

ですが、ちょっと深く考えてみると「こんな新しい感覚を持てる若者って凄い! 新人類だ!」と妙に納得したので、今回は旧人類が「ちょっと深く考えてみたこと」について書いていきます。

 

 

「テレビは動画が途中から始まる」感覚

まず考えたのは、「テレビは動画が途中から始まる」感覚です。

この感覚は旧人類にとって、声に出して読んでみても違和感が拭えない感覚です。何故なら前述した通り、テレビが映し出しているのは100%……いや、90%が動画です。国営放送もローカル放送も関係ありません。それが途中から始まる?……確かに今チャンネルを変えたら、峯岸みなみのライザップCMが途中から始まりました。なるほど、こういう感覚なのか! toretter内でも、厠へ向かう息子の「テレビ止めておいて」発言がありましたもんね! なーるほど!!

と、納得してしまうとお間抜けな考えになってしまうので、ちょっと視点を変えます。

 

「テレビは動画が最初から始まらない」感覚

チャンネルを途中で変えず、且つ大事件が起こって番組が途中でニュースに切り替わらない前提で話を進めます。

テレビで放送される番組は、絶対的にタイムスケジュールが組まれています。何時に何を放送するかは局によって異なりますが、世の中を揺るがす出来事が突発的に発生しない限りは、予定通りに予定された番組が放送されるのが常です。なので、予定に合わせて……例えばドラマの予定に合わせてテレビに目を向ければ、自然と『ドラマ』の動画が最初から目の前で展開されます。

では、途中から始まる、言い換えれば「最初から始まらない」動画とはなんでしょう。

例えやすいのは、スポーツの動画です。

サッカーWCなど注目度が高い試合や、国内で行われている試合の動画は、最初から最後まできちんと観られる事が多いです。しかし国外で行われている試合だと、放送時間を迎えた時には、選手が登場し終わっている場合があります。

更に酷い時には、既に戦いの火蓋が切って落とされている場合もあるのですから、「途中から始まる」感覚はあながち間違いではありません。旧人類でも「最初から観せろや!」と思います。

 

「テレビは動画が『途中が最初になって最初が途中』になって始まる」感覚

束子。何言ってんだ、と思うでしょう。私も書きながら「何言ってんだ」って気分になってます。つまり、とてつもなく分かりやすく言うと、テレビで流れる動画のMAD化、捏造、差し替えです。

www.geocities.jp

iori3.cocolog-nifty.com

ニュース番組ではお馴染みですね。国会中継の映像なども、受信者側のウケが良いようにだったり、都合の良いように解釈出来るように改変が多くされていて、現在も「正しい情報がない!」と問題視されています。

 最近だと、ニュースじゃなくてもこんなことが。

tocana.jp

彼女の話題は、本当に事欠かないですね。

 

「テレビは動画が最初から始まっても虫食いだらけで繋がらない」感覚

これは超個人的な感覚なのですが、例えば『金曜ロードSHOW!』など民放各局が映画を放送した時、尺の関係で色んな場面を編集でカットしています。そしてカットした断面にフェードアウト・フェードインの加工を施して間にCMをサンドすることで、自然な広告導入を演出するだけでなく、「カットしたよ!」という明からさまな違和感の排除が行われています。

しかし、話が微妙に繋がらない違和感は拭えません。酷い時はCM前後で、話が大きく展開している時もあるのですから。例えるなら、CM前には顔が濡れたアンパンマンが「力が出ない〜」とヘロヘロしていたのに、CMが明けたらすっかり乾いてアンパンチを食らわせていた感じ。話の展開的には想像付くけど、そこカットするの!? みたいな。雪国かよ。

 

「テレビは動画が途中から始まる」と発言した学生が言いたかったこと

多分、というか絶対的に、上記のことが言いたかったわけではないでしょう。彼(いや、彼女かも)が言いたかったのは、「自分の都合の良い時に、欲しい情報が冒頭から観られないテレビはオワコン」と言いたかったんだと思います。

今や情報はネットで得る時代にシフトしています。ニュースも、スポーツも、ドラマも、アニメも、豆知識も、娯楽でさえ、ネット上で好きな時間・好きなタイミングで、欲しい物を好きなだけ得ることが出来ます。

テレビでは欲しい情報を得る為にチャンネルを回したり、時間になるまでジッと待っていなければいけません。それに比べて、ネットは指先でスッスッスッスッとすれば、テレビと同等、もしくはそれ以上の情報がテレビよりも早く手に入るのですから。そんな情報の飽食時代に慣れきってしまえば、遅い上に情報選択が出来ないテレビはオワコンと考えても仕方がないでしょう。

見方を変えれば、時間を無駄にしない合理的な方法だと言えます。

 

テレビを不必要な産物と判定した先にあるもの

情報はネットでゲットするから、テレビは要らない。スマホやタブレット、PCだけでいい。そんな人達が世の中に溢れたとしたら、一体どんな環境に生まれ変わるのだろう。妄想力を働かせてみます。

 

配線コードが繋げなくなる

既に世は無線LAN・Wi-Fi時代です。恐らく既に、配線コードを正しく繋げない人がいるでしょう。説明書を見ても分からない。この大きいコンセント何処に挿すの? この赤いやつは? 緑は? 黄色は?

以前はテレビやレコーダーなどを自力で繋げないなんてダッサー! という風潮も一部でありましたが、これからは自力で出来ることが凄い!! ってことになりそうです。

……あ、それはないか。ネットで接続方法を調べられますもんね。

 

家族団らんがスマホ団らんになる

『家族団らん』という言葉をご存知だろうか。昔は一家に一台のテレビを、家族みんなで観ていたものです。チャンネル権争いをしたり、テレビに夢中になる余り「食事が終わるまでテレビ禁止!」と、母親から喝を受けた記憶がある人も、これを読んでいる人の中にはいるかもしれません。

しかし、これからは争いも、喝もなくなります。何故なら、テレビは観ないからです。代わりに見るのは、一人一台のスマホかタブレットです。自分の端末で好きな番組や情報を見放題なので、チャンネル権争いなんて起こり得ません。それこそ母親に怒られそうですが、大丈夫! 母親も手元の端末に夢中ですから。

 

究極のミニマリストに一歩近付く

「スマホやタブレットがあるからテレビは要らない」と見切りをつけられる。それはつまり必然的に、今流行りの『ミニマリスト』に一歩近付けるということでしょう。

テレビがないということは、テレビ線やコードといった配線の類が一切ないということです。同時にレコーダーや小さなテレビ台もなく、電子機器特有の埃を呼び寄せる能力で集まった敵を処理する手間も、電気代に悩まされる鬱陶しさもないということです。

家電がないということは、トランク一つで何処にでも行ける、究極のミニマリストに近付けるということです。これは、意外と良いことかもしれません。

 

動画が途中で止まるようなテレビと決別したいか

魅力的か否かと言えば、非常に魅力的です。確かにネットがあれば生きる上での情報は十分に得られます。

しかし、永遠に目の前の小さな端末を独りで見つめて生きていきたいかと問われると、答えはノーです。例え遅くって、どんなに面白みのない番組しか放送しなくても、それを「遅いし、つまんないねー(笑)」と言って笑えるような環境の方が、永遠に独りぼっちの空間よりは良いなと思いました。 

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