きままりすと

気儘に言及するブログ

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「健全なコンテンツ」vs「表現の自由」尊重するべきなのは、どちらなのか


興味深い『まとめ』を発見。

matome.naver.jp

要約すると「国連がアニメポリスとなって、『女性が理不尽な暴力を受けているコンテンツ』を駆逐する権利を持つべきか否か」 という審議がされるとか。もし決定した場合、国連の締約国は自国内の『女性に対する暴力的表現』が含まれたコンテンツを規制・販売禁止の措置を取らなければなりません。この締約国には、日本も含まれています。

この手の話題が表に出ると、必ず持ち上がるのが「表現の自由」に対する問題です。

子供に見せられる「健全なコンテンツ」を求める派と、「表現の自由」を優先するべきと考える派。双方のイタチゴッコな戦いは、どちらの言い分もよく分かるので悩ましいところです。

 

今日は今回の国連での審議内容も含めて、「健全なコンテンツ」と「表現の自由」のどちらを尊重するべきなのか、勝手に悩んでみようと思います。

 

なぜ、日本の「成人向けゲーム・漫画」が槍玉に上がるのか

国連側からしてみれば、別に日本の「成人向けゲーム・漫画」を攻撃しているつもりはないのではないでしょうか。平たく言ってゲームや漫画は、子供を対象にしているコンテンツです。故に、子供の目に性的・暴力的表現に晒すのは如何なものかと苦言を呈しているだけだと思います。

では、なぜ『日本の』となってしまったのか。原因の一つは、まとめ内にもあったこのツイートでしょう。

どうして国連の審議内容に「慰安婦問題」が含まれているのか……それはあくまで、日韓の政治的問題ではないのだろうか? と首を傾げざるを得ないのですが、その点は置いておいて。

「国連女子差別撤廃委員会」が、公の場ともいえるSNS上で『日本における』と表現。且つ、最も目立つ1項目目に「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」と書かれていれば、日本の「成人向け」二次元コンテンツだけがバッシングを受けていると感じても仕方がありません。

  

過去にもあった、海外での『クールジャパン』規制

この記事を読んでいる多くの人がご存知の通り、日本のアニメ・漫画・ゲームは『クールジャパン』と呼ばれ人気を博し、様々な作品が輸出されています。来日した外国人の中には、幼い頃に観た「美少女戦士セーラームーン」や「ドラゴンボール」をキッカケに日本のサブカルチャーを知り、成長するにつれて日本自体への憧れが強くなり、日本語の勉強までして来日したという人も珍しくはありません。

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私もセーラームーン大好きっ子でした。

しかし、サブカルチャーの輸出が盛んになるにつれて厳しくなったのが、今回のような「◯◯的表現」への規制です。

 

世にも奇妙な海外の「◯◯的表現」規制 〜理解できる篇〜

「自由の国」アメリカ合衆国で放送されたアニメ版『ONE PIECE』が規制により、ものすごい改変処置をされたことは有名な話です。

サンジの煙草がチュッパチャップスに変更されたのも驚きでしたが、スモーカーやクロコダイルの葉巻が削除され、煙だけが口元から出ているのには爆笑を禁じ得ませんでした。ちょっと、何か咥えさせてやってよ! という感じです。

賛否両論ありますが、この「喫煙表現」を規制するのは理解できる気がします。煙草なんて百害あって一利なしですし、未成年の喫煙問題もありますから、「子供に悪影響を及ぼすかもしれないから、アニメから煙草を除外しよう!」という動きになるのは自然です。原作漫画では描かれているので、ほぼ無意味な規制ですけれどね。

 

因みに、日本国内で放送されたアニメでも「喫煙表現」の規制は始まっています。

blog.livedoor.jp

 

世にも奇妙な海外の「◯◯的表現」規制 〜理解できない篇〜

喫煙は理解できますが、他はどうでしょうか。規制するのは結構ですが、一滴の流血もなしに強敵を倒すシーンは違和感しかありません。

更に、日本よりもタトゥーが身近な文化なのに、アニメキャラクターのタトゥーを一切消し去ってしまうのも奇妙な話です。二次元のタトゥーがダメなら、三次元のタトゥーはどうすれば良いのか……ジャック・スパロウは、モザイク処理の対象にならなきゃ可笑しいと思います。子供も観るディズニー映画で、タトゥーなんて! 相応しくありません!

atmatome.jp

他にも、

  • 女の子キャラの入浴シーンの禁止
  • 寄せて上げられた胸の谷間の禁止
  • いわゆる『絶対領域』の禁止
  • 卓袱台返しの禁止
  • まとめで記述されている、ゲームキャラへのお触り禁止

などなど……奇妙な表現規制措置がされています。

 

日本は「◯◯的表現」に対する規制が甘い?

逆に考えてみます。日本はアニメ・漫画・ゲームに対して、規制が甘いのでしょうか。

一例として「暴力的表現」で考えると、確かに甘いのかもしれません。アニメ・漫画共に現在でも人気が高く実写化までされた『進撃の巨人』は、近年発表された作品の中で「暴力的表現」の高い作品の一つだと思います。

暴力性の高いアニメその1:進撃の巨人

shingeki.tv

まず、人類の敵である巨人が「人間を捕食して食べる」という、カニバリズム設定からして残酷です。人間が生きている小さなイカやタコを踊り食いするように、巨人は生きている人間を踊り食いします。これほど残酷で暴力的な設定があるでしょうか。

巨人の設定だけではありません。主人公に『巨人に対する強い復讐心』を植え付ける為とはいえ、主人公の目の前で母親が巨人に握り潰され、頭から足までバリバリと咀嚼されるという惨たらしい演出までされているのも恐ろしいです。しかも、この主人公。過去に人殺しをしているから、なお恐ろしい。攫われたヒロインを助ける為とはいえ、犯人を「たまたま人と格好が似ていた有害な獣」と称し刺殺する少年がいて良いのでしょうか。それにヒロインも、自分を攫った犯人を一発で仕留めています。こんな暴力的表現を許していたら、痴漢や変質者を「たまたま人と格好が似ていた獣」と称して仕留め、正当防衛を主張する少年少女が現れても可笑しくありません。中国が閲覧禁止にするのも納得です。

 

現代社会に近い作品で「暴力的表現」の高い作品を挙げるなら、この作品は外せません。

暴力性の高いアニメその2:名探偵コナン

www.ytv.co.jp

まず、高校生が探偵業をやっている時点で問題です。いくら父親が推理小説家だったり府警の本部長だからといって、多感な青少年に遺体を見せて良いのでしょうか。そして遺体を見ても全く動揺せず、寧ろ嬉々として観察している辺り、彼らが精神的に異常を来している証拠のように思えます。

その次の問題点ですが、作品の冒頭で主人公は、怪しい黒ずくめの男に毒薬を飲まされます。幸いにも毒薬は開発途中のもので致死性はなかったわけですが、代わりに高校生の体を小学生の体にまで退化させる効果がありました。つまり、ある程度まで成長した骨格・筋肉・臓器すべてが急激に縮まってしまったのです。毒薬の完成品も恐ろしいですが、未完成の薬の効果の方が恐ろしすぎます。体が縮まってしまう現象について、医学的根拠が示されているか否かの点も非常に疑問なところですね。純粋な少年少女が、体が縮まる薬があると思い込んだらどうするでしょうか。

更に申し上げますと、「毎週土曜の夕方」という高確率で子供が見ている時間に、アニメとはいえ凄惨な殺人現場を放送して良いのでしょうか。しかも初回放送以降、事件現場にいるのは『高校生探偵』ではなく『小学生探偵』な点も、束子。的には問題だと思います。

 

幼い子供が観るアニメにも、「暴力的表現」は存在します。

暴力性の高いアニメその3:それいけ! アンパンマン

www.anpanman.jp

体の一部を食べるカニバリズム要素は、先に挙げた『進撃の巨人』に通ずるものがあります。しかし『進撃の巨人』と大きく異なるのは、自分の体(それも頭部)を自ら進んで分け与え、受け取った側は嬉々として食べているところです。一見、 仲間の為なら自己犠牲も躊躇わない、愛溢れる行動に見えなくもありません。ですが、本当に仲間を思うなら「自分の体を差し出す」べきではないと思います。

しかも、アンパンマンの拠点にはジャムおじさんという優秀なパン職人がいます。仲間が落ち込んでいるなら、お腹を空かせているなら、ジャムおじさんのパンを食べさせれば良いはず。なのに、なぜ自分の頭部を食べさせるのでしょう。

ここに、私はアンパンマンの闇を感じます。何故なら、催眠・洗脳要素が見られるからです。

相手が何者かはさておき、普通に考えてみましょう。自分がお腹を空かせている時に、目の前の相手が突然、自分の頭の一部を引き千切ったら……そして「僕の顔をお食べ」と穏やかに言いながら差し出してきたら。普通は即「ノー」です。いやいや、遠慮せずどうぞと言われても、いやいや大丈夫ですお腹空いてないんで! と断るはずです。

では、どうしてアンパンマンに出てくるキャラクターは、アンパンマンが自ら引き千切った頭を食べるのか。理由は、

  • 受け取る側が極限状態だった
  • 第三者による助言があったから

この2点が考えられます。

つまり「これを食べなければ自分の命はないんだ」という極限状態にあれば、一瞬は戸惑っても最終的に口にするでしょう。例え頭部の一部でも。生命維持の為なので、仕方ありません。加えて、食べたことのある第三者から「アンパンマンの頭を食べれば元気が出るよ!」と背中を押されれば、「これを食べても命に関わらない。それどころか腹が満たされて、元気になるんだ」と思い嬉々として食べるのも納得がいきます。そして実際に元気になるのですから、次に頭を差し出されても喜んで食べるでしょう。最初で「アンパンマンの頭は美味しい! 元気になる!」と植えつけられていますからね。

物語に観点を移すと、『それいけ! アンパンマン』は、正義が悪を退治する「勧善懲悪」の方式で描かれています。「勧善懲悪」は日本人を始め多くの人が好んでいる演出で、悪であるバイキンマンを、正義の味方であるアンパンマンが何やかんやで倒してストーリーは完結します。

最終的に倒されるわけですから、バイキンマンはさぞや悪い行いをしたのだろう……と思いきや、実際はそれほど悪いことはしていません。村人を困らせるだけで、誰かの命を奪ったりする非道な真似はしていないのです。にも関わらず、アンパンマンはグーパンチでバイキンマンを空の彼方まで吹っ飛ばします。いくら「最後に勝つのは正義」だからといって、幼児に見せるアニメで理不尽な暴力を表現していいのでしょうか。甚だ疑問です。

 

「健全なコンテンツ」vs「表現の自由」

 幼児向けアニメから成人向けアニメやゲームに至るまで、日本には「不健全なコンテンツ」が蔓延っています。

上記では「暴力的表現」のみに言及しましたが、「性的表現」で言えば、昔懐かしい『まいっちんぐマチコ先生』や、トラ柄の水着がデフォルトな『うる星やつら』のラムちゃんはアウトでしょう。『ルパン三世』の峰不二子も、『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の秋本麗子も、胸部が大きすぎていけません。

『美少女戦士セーラームーン』を始めとする「女の子が変身して戦うアニメ」も、戦闘服に変身するシーンは裸体を匂わせる演出がされているので良くありません。『キューティーハニー』に至っては、戦闘服が卑猥です。

『進撃の巨人』だって、巨人は通常種も女型も裸体です。『それいけ! アンパンマン』も、バイキンマンとドキンちゃんは着ているのか着ていないのか判別できない仕様になっています。

「健全なコンテンツ」のみを残そうとすると膨大な量の作品が失われていきます。徹底的に不健全さを排除した先には、果たしてどんな作品が残るでしょう。……うーん、『ノンタン』ぐらいかなぁ。あ、でもノンタン服着てないわ。

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このように考えると、必ずしも「健全なコンテンツ」=善とは言えないように思えます。残虐性だけで言えば日本のお伽噺もグリム兄弟が描いた『グリム童話』も残虐性たっぷりなグロテスクの極みですし、歴史的彫刻家・画家が表現した男性像・女性像は、総じてあられもない裸体です。

 

残虐性・卑猥性を伴う表現の役割は、『その物語のスパイス』に他ならないと思います。

巨人という「人間を踊り食いする敵」が存在しなければ、殺人を犯す人間がいて高校生探偵なんて営んでいなければ、自己犠牲が大好きなアンパン野郎がいなければ、平和な世界で体を縮められることもなく他人の頭の味を知ることもなかったでしょう。乳が大きいという体系的な問題は別として、本当に平和な世界であれば、少女たちが一度裸体を晒して変身した後に戦闘をする環境に身を置かなくてはいけない事態も回避できた筈です。

つまり裏を返せば、『スパイス』がなければ何の面白味もない物語だということです。起承転結の「転」が存在しないようなものです。残虐で暴力的でも、性的で卑猥でも、『スパイス』というテコ入れがあるからこそ物語が面白くなる。この『スパイス』こそ、「表現の自由」の賜物なのです。

 

「表現の自由」は正義なのか

確かに「表現の自由」を持ってして、作品に『スパイス』を投じるのは素晴らしいことです。

それでは、全ての「表現の自由」を許して良いのでしょうか? 私は、この点に一番の苦言を呈したい詳しく、そしてくどく言えば、全ての『スパイス』を「表現の自由」で許して良いのでしょうか。

 

話を、国連で審議されるらしい「女性に対する性的暴力」の点に戻します。

私がこの『まとめ』を読んだ時に、真っ先に思い浮かべたのは「コミケ等でも販売されている男性向け同人誌」「無料広告で頻繁に見るエロ漫画広告」でした。

正直に申し上げますと、『コミックマーケット』及び『まんだらけ』などオタクを対象にした同人誌販売市場における卑猥度は異常です。女性向けも中々のエグさなのは否定しません。しかし男性向けだと、可愛らしい女の子たちが薄汚い男たちに、あられもない姿にされた挙句に無理やり性的行為を避妊なしで強要される表現が溢れているのです。実際に、卑猥な同人誌に溢れている店に行ったことがありますが、気持ち悪さに即退出しました。

卑猥な表現は、同人誌販売市場に止まりません。私たちが日常的に利用しているインターネット上でも、女性が男性に無理やり体を暴かれて避妊なしに性交渉をしていると思われる漫画の広告が多々あります。この広告が厄介なところは、インターネットという環境上、未成年の目にも晒されているというところです。

そして非常に不思議な部分なのですが、同人誌でも広告でも「女性は最初めちゃくちゃ嫌がっているけれど、なんやかんやで善がって最後は全面的に相手へ体を委ねている(若しくは求めている)」という点です。現実世界ならば、無理やり体を暴かれた女性が、暴いた相手に体を委ねることはありません。

日本には「嫌よ嫌よも好きのうち」という言葉があります。「口では嫌って言いながら、身体は素直じゃねぇか」という台詞も存在します。そのどれもが、「女性は無理やり犯されることに喜びを感じている」と示唆していると言っても過言ではありません。端的に言ってしまえば、暗黙のうちに性的暴力を合法化していると指摘されても可笑しくないでしょう。物語を進める上で女性を無理やり犯すのは『スパイス』であり、喜んでるんだから良いじゃない。みたいなね。

そのような表現が未成年でも閲覧可能な所に公開されているのですから、「国連女子差別撤廃委員会」がSNS上で、日本の性的暴力を描写した二次元コンテンツの販売を禁止を掲げても不思議ではありません。不思議じゃないどころか、当然と言えます。当然すぎて抵抗の余地もない。

 

優先し尊重するべきなのはどちらか

「健全なコンテンツ」と「表現の自由」、どちらを優先し、尊重するべきなのでしょう。非常に難しい問題です。

確かに女性への性的暴力を表す描写は、良くありません。女性の立場から言わせてもらえれば、二次元での展開を三次元に持ち込まれては困ります。「あのキャラは無理やりされても善がってたのに……」なんて思われた所で、三次元女性から言わせれば「お前は馬鹿か?」という話です。善がらないからと逆上されたら尚のこと、【禁止ワードです】してやろうかと思います。

しかし、時には残虐な表現が必要な時もあります。例えば「国連女子差別撤廃委員会」 が今回の審議で掲げている「慰安婦問題」を表にする時、必然的に表現しなければならないのは「性的暴力」の表現です。「性的暴力」の表現を表に出してこそ、慰安婦が如何に時代に翻弄され、如何に女性の尊厳を踏みにじられたのかが分かります。つまり、「性的暴力」の表現を禁止すれば、「慰安婦問題」を正確に表に出すことは難しくなります。それを「国連女子差別撤廃委員会」は望んでいるのでしょうか。

 

今後もこの手の話題が登る度に、「健全なコンテンツ」と「表現の自由」の戦争が繰り返されることは間違いありません。悲しく辛く、面倒臭いことですが、私たちは戦争に翻弄されながら良質なコンテンツに縋るしかないのです。

どうかオタク、非オタク、双方に平穏な日々が訪れますように。

 

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