きままりすと

気儘に言及するブログ

きままりすと

ブロガーが歩む道、メディアクリエイターが歩む道


社会の光も闇も知っている社会人と、恐れ知らずで行け行けドンドンな若者たち。

この二者によって「ブロガー」VS「メディアクリエイター」という肩書き論争が、大きな盛り上がりをみせています。

 

 

この論争に関しては購読中のブログで散々語られていて、旬なトピックにも挙げられていたので情弱な私でも知っています。

ブログを媒体に活動している人たちが、年末に「オフ会」を開いて交流。その際に数人の大学生が「『ブロガー』って呼称はオタクでおっさんぽい! ダサダサ集団! ナウい俺らは『メディアクリエイター』って名乗るぜ! ウエーーイ!! 俺たち『メディアクリエイター』集団!! 超絶カッコイイZEEEEEEE!!!」って、オフ会内と自身のブログ内で宣言したんですよね?

その発言を受けたオタクでおっさんっぽいダサダサ集団、もとい『ブロガー』達が「我、怒れ人なり」「『メディアクリエイター』を名乗って良いのは世界に一人だけ。そう、高城剛だ…」と反論、と言うより評論しているんですよね? 

多分この認識で合ってる……はず。自信ないけど。

 

年長者と若者が争うのは常です。今に始まったことじゃありません。

そして若者は、人生の先輩と言うべき年長者を「おっさん」だの「ババア」だの「老害」だの何だのと指差しながら唾を吐き(いずれ自分たちも「老害」と言われるようになるのにね)、年長者はまだまだ幼稚さの拭えない若者に辟易としつつ何だかんだで「これだから若人は……」と相手をする。これもずっと変わりません。

きっとこれが彼らのコミュニケーションの取り方の一つなのでしょう。このような論争が全く失われてしまったら、「昔は楽しかったよね」と真っ先に懐古するのもまた、彼らなのです。

 

そんな彼らを纏めて愚弄するようで申し訳ないが(しかも、はてなブログでは『新参者』という立場でである)、「ブロガー」だろうが「メディアクリエイター」だろうが、心底どうでも良い。

どうでも良いというか、まだ『ゾッとする程ダサい二つの肩書きについて』の討論で消耗してるの? という感じなので、良い加減止めたら宜しいんじゃないだろうか。という内容を、これから書いていきたいと思います。

 

 『ブログ』ってなんだろう

そもそもの話です。
『ブログ』とはなんだろうか。
 
Wikipediaに書かれているような広義や定義的なものの話ではありません。そのような何処が出典かイマイチ曖昧なサイトや、はたまた広辞苑や国語辞典に載っている内容を語る行為ほど無意味なものはないと、大学受験の論文対策で嫌というほど叩き込まれました。特に後者。前者に関しては当たり前すぎてお話になりません。
広辞苑的な意味ではなく、『ブログ』って何でしょうか。
 
束子。が学生だった頃、『ブログ』とは『個人のweb日記』という感じでした。
自分の日常を面白可笑しく語る。
ただ朝起きてご飯食べて、学校もしくは会社に行き、昼ご飯を食べて午後も精力的に活動し、帰宅して夕ご飯を食べてテレビ見て寝る。そんな何気ない1日の中でダイヤモンドの原石の様に鈍く輝く出来事を見つけ出し、『ブログ』というコンテンツ上で面白可笑しく『磨く』。
この『磨く』という作業が言わば『文章で表現する』ということで、普通なら気にも留めない様な何の変哲もない個人Aの1日を、まるでコメディの一場面かの如く彩るのです。
そして、『ブログ』などというものは『個人』が主体であり、基本的には『個人で』シコシコと楽しむものでした。ネットという仮想空間内の自分の住処みたいなものでした。
なので、現実世界の友人に知られると、妙に恥ずかしいものです。普段とネット上でのミスマッチが大きければ大きいほど、羞恥心も膨らみます。『ブログ』はリアルな生活の一部を書きながら、実は非リアルな存在でした。
 
ネット環境が進化していくと、『ブログ』は『個人のweb日記』という枠組みに留まらなくなったように感じます。個人の日常ではなく、知識を紹介したり只管レビューを記載する専門性に富んだ『ブログ』や、アフィリエイトに特化した『ブログ』が誕生しました。
更に時代が進むとmixiが登場します。
そしてこのmixiを始めとするSNSの存在により、『ブログ』は仮想空間を飛び出して現実世界の一部になります。
 
ここまでの話で、私が物凄く共感したのはコチラの記事。共感したし、とても分かり易いです。

www.goodbyebluethursday.com

 

苦い思い出しかないmixiの『日記ツール』

mixiの話に飛びますが、私はmixiが嫌いでした。
正確に言うと、mixi内の『日記ツール』が嫌いでした。
 
mixiは紹介制のSNSなので、私が始めたキッカケはクラスメイト(仮称:Aちゃん)からの紹介でした。高校生の頃です。
もうこの時点で、仮想空間とリアルがごっちゃになります。
既にmixiデビューしていた他の友人がマイミクになり、友達の友達がマイミクになり、友達の友達の友達がマイミクになりました。コミュニティーに参加したらそのコミュニティーの人がマイミクになりました。マイミク数が多ければ多いほど偉い! みたいな風潮が追い風になっていたのかは定かではありませんが、マイミクは暫し増え続けました。
私はmixiで、目立った活動はしていませんでした。某アーティストに関するコミュニティーに参加して情報を収集する程度で、マイミクのページにお邪魔することはありませんでした。
友人たちの日記を読むこともありませんでした。外部で『ブログ』を書いていたので、わざわざ『日記ツール』を利用することもありませんでした。
 
私の非活発的な行動に苦言を呈したのは、mixiに引き込んだAちゃんです。
まず「どうして日記にコメントをくれないのか」と問われました。正答は「読んでないから」なのですが、私は謝った後に「次はコメント残すね」と笑顔で答えました。しかし、直ぐに正答を言い当てられました。
「束子。ちゃん、読んでないんでしょう? 私の日記。足あとついてないじゃん。なんで読んでくれないの?」
一度でも利用したことがある人ならばご存知だとは思いますが、mixiには『足あと』機能が存在します。『足あと』は誰が自分のページに訪れたかが一目で分かる機能で、その範囲はトップページに留まらず、日記を含めた各コンテンツにも対応されています。
Aちゃんは自分の日記に一度も私からの足あと記録がないことで、「こいつは一度も自分の日記を読んでいない」と察したのです。
 
他の人はどうなのか知りませんが、私の周りでは「マイミクのページに毎日お邪魔する」「日記が更新されたら必ずコメントを残す」というのが主流でした。友達なんだから当然、という暗黙の了解もあったのでしょう。それに反していた私は、明らかに異端な存在でした。
Aちゃんは遠回しに、「日記を読んで欲しい」「コメントを残して欲しい」「やってくれなきゃマイミク辞めちゃうゾ☆」と脅迫めいたお願いをしてきました。そして「束子。ちゃんも日記書いてね」という一言を残して、自席に去って行きました。
 
『ブログ』=『仮想空間内の住処』な思考だった私が、彼女の背中を見ながら思ったことはただ一つです。
「誰が日記なんて書くか、バーーカ」
しかしお願いされた手前(※脅迫に怯えたからではない)、日記を読まずコメントを残さないわけにはいきません。その日から、Aちゃんを含めリアル世界の友人が日記を更新したら、確認してコメントを残す活動を始めました。
その活動を始めて1週間後、私はmixiを辞します。
 

『ブログ』を書く理由とは何なのか

mixiから『ブログ』に話を戻します。
何故私たちは『ブログ』を書くのでしょう。
 
以前は『個人のweb日記』という存在の頂点に君臨していましたが、その地位はTwitterの出現によって若干の危うさを見せています。ただただ日常を吐露したいなら、写メ付きで「ご飯なう」「◯◯駅なう」と囀っていれば良いのです。
しかし一度は衰退した『ブログ』が今なお繁栄しているのは、『ブログ』が『個人のweb日記』から『文章に特化した自己表現コンテンツ』に進化し、何物もそれに代わる良コンテンツになれなかったからではないでしょうか。

www.bloglifer.net 

私がブログを始めたキッカケの半分は、コチラの記事を読んだからです。

 

確かに、『ブログ』ほど情報発信に適したコンテンツはありません。

自分で一から企画を立て、効率的な見出し作りをし、魅力溢れる文章で執筆して公開する。面白い記事・タメになる記事は注目記事として取り上げられて、自然とPV数や、はてブ数を伸ばしていきます。この流れは、mixiの頃から変わりません。面白い日記が書ければ、『足あと』がいっぱい付くのです。

そして今日日。偉い! のは『足あと』がいっぱい付いている人ではなく、PV数・はてブ・スターをいっぱい持っている人です。

 

きっと『ブロガー』も『メディアクリエイター』を名乗ることに決めた人たちも、基本は一緒です。文章を書くのが苦痛ではない、もしくは文章を書くことしか出来ない人たちなのです。

中には「文章を書くのなんか嫌いじゃボケ」という人や、「『ブログ』を書く目的はただ一つ、アクセス数で金儲けする為だ!」という人もいるでしょう。

しかし、そもそも文章を書くのが嫌いな人は『ブログ』を運営しようとは思いません。アクセス数で金儲けをするなら、ユーチューバーになって動画をヒットさせれば良いのです。ユーチューバーとして一発当てれば、パソコンの前でシコシコせずともタレントに近い扱いをされます。

 

それでも『メディアクリエイター』を名乗ってまでシコシコする理由は、やはり書くことしか出来ないからなのだと思います。

 

ブロガーを辞めたメディアクリエイターは何をクリエイトしているのか

正直に申し上げますと、「メディアクリエイターを名乗ります!」と声高らかに宣言した記事を見た時。私は「この人はヨッピーさんの様な有名webライターにはなりたくてもなれないけど、話題のイケダハヤトさんと同じ括りは嫌だから新しい肩書きを作ったのかな?」と思いました。

 
しかし彼らのブログを読んでみると、そうではないことが分かります。

www.proof0309.com

www.jimpei.net

www.junpeihazama.com

なんだか、キュレーションサイト(バイラルメディアと呼ばれる時もあります)を読んでいるようでした。もしくはLIGブログ内の「完全オフ」(http://liginc.co.jp/life/

 

こう見ると、確かに彼らはブロガーであってブロガーではないのかもしれません。
ブロガーとはつまり『ブログをやっている人』であり、なんとなく「文章で勝負している人」という印象が強いです。もちろん画像を使用したり引用を用いる時もあるけれど、基本的に文章を中心にしている人の方が『ブログ』を書いている人……つまりブロガーっぽい気がします。
しかしメディアクリエイターを生み出した彼らは、「文章で勝負している」わけではないのです。『ブログ』以外の『文章に特化した自己表現コンテンツ』が誕生したら、恐らく彼らは読者を引き連れてはてなブログを去っていくんじゃないかなと思います。
 
かと言って、メディアをクリエイトしているかと問うと……首を傾げざるを得ません。そもそもメディアは媒体のことを指すので、ただはてなブログ内でメディアクリエイターを名乗っても何の意味もありません。それよりも先にやるべきことは、もう少しセンスのある肩書きをクリエイトすることです。
それにしても、本当にキュレーションサイトっぽいな……。
 

ブロガーが歩む道、メディアクリエイターが歩む道

残念ながら、『ブログ』を書いている時点で両者とも道は同じです。
現代では『ブログをやってる人』は皆兄弟、ブロガーです。プロでなくてもブロガーです。文章力はないけどSNSで炎上させるのが得意という人も、『ブログ』というコンテンツを利用していればブロガーなのです。
ブロガーを卒業出来るのは、きっと『ブログ』で書くことを辞めた時だと思います。はてなブログを含めた『ブログ』という空間を更新するためにパソコンの前でシコシコするのを辞めた時、初めてブロガーの肩書きを捨てることが出来るのです。
もしもブロガーからメディアクリエイターに肩書きを変えて、それが叩かれない日が来るとすれば、やはり何かしらの自己表現コンテンツを生み出した時なのではないでしょうか。
例えばmixiのような発信する場を一から作り上げて、それを成功させた瞬間。媒体をクリエイトした、真のメディアクリエイターなんだと思います。
 
そうならない内は、道は一本しかありません
 

自分が名乗るなら『ブロガー』か『メディアクリエイター』か

想像してみました。例えば私が今後、所謂ブログ飯を食う人間になったとして。もし万が一、名刺を作らなければならなくなった時に「ブロガー 束子。」と名乗るか「メディアクリエイター 束子。」と名乗るのか。
やっぱり、どっちも嫌だなと思いました。
確かに、ブロガーはダサい。別にオタク臭もおっさん臭も感じないけど、ブロガーって別に職業でもなんでもないから「名乗るほどでもありません」って感じ。「よっ! ブロガー!」と叫ばれたら、頭にチョップをかましてやりたくなる恥ずかしさがあります。
じゃあ、メディアクリエイターはというと……きっと影でプークスされるだろうなぁ感がハンパなくて嫌だな。こう、キラキラネームに通づるものがあるなと思いました。
 
私はブロガー兼何者でもないものでいたい。
 
 

忍者AdMax